100年続く町の呉服屋がラオス南部の田舎で養蚕を始めた理由②

前回の記事では、着物作りにおいて「生の繭が一番」ということに気づき、タイに行くことになりました。そして自分たちでも繭を作ろうと言うところまで行きつきました。
今回は、繭・シルクというものをもっともっと深くたどることとなります。

 

4.自分たちで養蚕しちゃおう!

タイで作った着物や服は、とっても軽いし、見事な光沢感があり、最高の着心地でした。
なにより「シルクは呼吸する」そんな感覚を教えてくれました。
いいなぁって思っていたのですが、少し問題が。
それは「着物にするには経糸(たていと)が弱い。」ということ。

ん~~~どうしたものか?

まぁ原因はわかっていて詳しく説明すると糸をつくる工程にまで言及しなくちゃいけないので、ここでは簡単に言うと、

・当時気に行っていた黄色い繭自体糸が細いということ
・糸を作るときのヨリが少ないということ

と、この2点がおそらく問題でした。わかってはいたのですが、残念ながら『これをタイで変えるのは簡単ではない。』ということもわかってました。
そこで思いついたのが、もっと簡単ではない方法(笑)

そう。
自分たちで養蚕をしちゃおう!
ってことだったのです。

普通の感覚からすると、ありえません。
今思うと私自身、なんでこんな考えに至ったんだろう?と当時の心境を思い浮かべると大きなハテナがいくつも並びます。
今の私に相談があれば、やめときなって止めてます(笑)

だけど、知らぬが仏
養蚕がどんなに大変かもしらない私たちは
「(いいものを作るには)それしかないね!」
と、養蚕できる土地を探し始めちゃったのです。

いや、多少言い訳はありますよ。
だって、絹自体がほぼ100%輸入に頼っているって脆弱じゃないですか?(いや、脆弱でもいいくらい需要もなかったんですけどね)
それに求める生の糸は日本ではほぼ手に入らなかったのですから。
自分たちでやるしかないですよね?(←違う)

5.太古の素材であるシルクは神の衣

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お伊勢さんに赤引き糸(絹)を奉納する祭り

ということで、養蚕のいろはも知らない私たちは、地域で養蚕をしている方を探し始めました。一から教えてもらうしかないのです。

ところが、それが思いのほか簡単ではありませんでした。
私たちの拠点である愛知もかつてはシルクの産地だったから、簡単に見つかるだろうと思っていたのですが甘かった。
思っていた以上に、日本の養蚕業は衰退しているということを実感します。

しかし、心から思い描けばその情報はやってきます。
愛知で唯一、養蚕をされている方がいらっしゃるとの話を聞き、さっそく挨拶にうかがうことにしました。

当時御年90歳以上の彼は、どこの馬の骨ともわからぬ私たちを、いやな顔一つせず迎え入れてくれました。
そして、彼の口からは私たちの想像とは違う養蚕の目的が語られたのです。

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三河赤引き糸奉献について

それが伊勢神宮とシルクの話
神様と絹の話なのです。

驚いたことに、彼が養蚕をしている理由は、伊勢神宮に絹を奉納するためなんだそう。ほかにも樫原神宮や明治神宮など、日本の神様に絹を納めるということをずっとやられてるんだそう。

しかもそれは、仕事として対価を得てるわけではなく、ずっと養蚕をやってきたという感謝の気持ちで、今は神宮への奉納のためだけにやっているのだというのです。

天照大御神は春夏に麻、秋冬に絹のみを着るということを初めて知りました。
そう、シルクは神の衣だったのです。

そんな素晴らしい養蚕農家さんから一番最初に養蚕のことを教えていただいたのは、本当に幸運でした。
そして彼のお蚕さん、養蚕に対する姿勢もまた、私たちに養蚕のことをしっかり見直す機会をくれたのです。

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もちろん、養蚕の方法もとっても勉強になりました。
桑の糞が肥料となるという彼の化学肥料を使わない桑の育て方や、卵のふ化から始める養蚕の方法、桑の糞が薬となるという話も驚きでした。

※通常養蚕の際に桑を育てるには窒素リン酸カリなどの化学肥料を使っていて、どこで教わってもそのように教えられます。しかし何十年と化学肥料を使わず桑を育てている実績が、私たちの考える養蚕ができるのだと励みになりました。
また、通常は3令と呼ばれる小さいお蚕さんを仕入れて、繭にするのですが、彼は自分でふ化させて、繭まで育て上げていました。これもまた自分たちでやるには本当に参考になりました。

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さて、ラオスどころか、日本に帰ってきてしまいましたね。
それでも少量でも養蚕をはじめることになりました。そして養蚕を始めると心境の変化がでてきます。

6.養蚕で感じた命を頂くということ

実際にお蚕さんに触れる機会が増え、数頭とは言え自分で育ててみると今まで触れてきたシルクというものが、違うものに感じ始めます。
頭ではわかってたのに、育ててみるとやっぱり違いますね。

お蚕さんが可愛く、一生懸命頭を振って繭を作る姿に見惚れてしまいます。

自分で大切に育てた繭は神々しく輝いていました。

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『シルクは命』

そう感じ始めた私たちは、いつしか糸を作るという本来の目的に疑問を持ち始めたのです。

「心地のいい着物、それはそれで素敵なのだけれど、一反作るのに2500頭ほどのお蚕さんが作り出す繭が必要なんだよな。」

「でも着物って今はそんなに着る機会もないし、せっかく生まれてくるこの命のシルクをもっと私たちの役に立つように生かせないかな?」

そう思い始めたのです。

7.シルクを学びに全国行脚

もっともっとシルクのことを知りたいと、日本中を駆け回り始めのもちょうどこのころ。
いくつかの養蚕農家さんや京都工芸繊維大学、信州大学、九州大学、岩手大学などのシルクを教えている大学や上田蚕種さんなどの種やさん、蚕糸学会といった学会にも参加させてもらいながら、養蚕のことだけではなく、シルクのことを学び始めました。

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研究室の養蚕施設

特に、京都工芸繊維大学の教授には養蚕のことで親身にお世話いただいて、養蚕のイロハを教えていただきました。
タイやベトナムなどからも学びに来る、養蚕の技術に関して日本のトップの教授から教えてもらう中、私たちがタイに行っていることも知ってた教授が、何気ない会話のなかで

「タイもいいけど、ラオスも気候は適してるよ」
とぽつっと一言言われたのです。
本当何気ない会話だったので、その時は気にも留めてなかったのですが、この言葉が後ほど大きな意味をもってくるとは思いもよりませんでした。
それはまた次回にでも。

さて、2編にわたるブログの最後で、やっとラオスが出てきましたね。
やっと序章終わりというところでしょうか(笑)

それにしてもなんでラオスって言葉が出てきたのか今も不思議です。

次回は、いよいよラオスへ行った理由が明かされます。多分・・・。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。こうご期待ください。

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