さて、前回でシルクがお蚕さんから作られた糸であることがわかりました。
今回はもう少し歴史を絡めてシルクについてお話してみようと思います。
(特に続き物ではないので、単独で読んでいただいてもわかるようになっています)
シルクの起源は古代中国
実は正確にはお蚕さんの元はわかっていないのですが、おそらくクワコという虫がその起源ではないか?と言われています。
クワコは野蚕の一種で今も国内でも見つける事ができます。お蚕さんと同じく桑を食べて育つため桑畑にその繭を発見することもあるんです。
そんなクワコから家蚕へと変わる養蚕の始まりはおおよそ4500年前の中国の黄帝が始めたとされ、中国東晋時代の『捜神記』にも養蚕の起源が書かれています。
養蚕とシルクロード
養蚕が一つの産業となった中国のシルクはシルクロードを通じて世界へ伝わることとなります。
シルクロードというとなんともロマンを感じるのは私だけでしょうか?平山郁夫先生が思い浮かびますね。
シルクロードとは皆さんご存じの通り、紀元前2世紀から18世紀の長きにわたり東洋と西洋を繋いだ歴史的な交易路で、中国長安(西安)からローマへと続く道の事ですね。
これは勿論、道がシルクのようだったという話ではなく、貿易として中国からヨーロッパへシルクが運ばれた道の事。
シルクの往来が東西文化の交流を進めたといっても過言ではないんです。
ヨーロッパの貴族を魅了したシルクの美しさ、機能性は中国の一大輸出品だったのです。
ちなみに中国は絹を高く売るため、養蚕の技術や種を秘密にして渡そうとしませんでした。それでもほしいと思ったローマ帝国の王様がとった行動はスパイ大作戦。
なんとふたりの修道士をスパイとして派遣したんです。作戦は至ってシンプル。修道士の杖をくりぬいてお蚕さんを入れ持ち帰るというもの。
で、なんと、これが成功!このとき持ち帰った数頭からヨーロッパでの養蚕がスタートしたんです。これが550年頃の出来事。(現在は病気が発生しほとんど残っていません)
日本の養蚕①歴史書にみる養蚕
さて、日本の養蚕はというと、紀元前200年ごろの弥生時代に始まったそうです。
中国の魏志倭人伝には『卑弥呼から魏の国へ絹が送られていた。』という記述があるということで、それ以前にはすでに養蚕が行われていたようですね。
古事記の中では五穀の起源と共に書かれているし、『日本書紀』第五段一書の十一にはツクヨミノミコトによるウケモチノカミ殺害の話の中で蚕の起源に触れ養蚕の起こりについても言及されています。
また、日本には民間説話である蚕の起源説話オシラ神信仰もある。オシラとは元来は蚕の異名・忌詞であったり蚕のことで、養蚕をしない地方でも、いまオシラ神と呼んでいるこの神を、広く農神として信仰しているとも言われています。
日本の養蚕②平安~江戸~明治へ
平安時代というと貴族文化のイメージが強いですね。その中でやはり絹は貴族の特権のように超高級品として扱われています。
正倉院には朝廷に送られた絹織物が今も保管されていますが、この当時の絹織物を修復している人から話を伺うと、今の絹と当時の絹では全く違うものなのだそう。その理由は品種は勿論ですが、糸の作り方と織り方。今の工業的な作り方では出せない美しさがあり、乾燥や高温にせず手でゆっくりと糸を引く事でその美しさに近づくんだそう。
江戸時代に入ると浮世絵に登場するくらい養蚕業は一般的になっていきました。全国に広まった養蚕業ですがこの時代まではあくまで国内消費が主。
しかし養蚕業にもいよいよ文明開化の鐘の音が聞こえてきます。
そう、明治維新による開国です。
明治政府になると国策として生糸の製造を始めたのです。
国中で養蚕が行われました。
あちらの畑でもこちらの畑でも桑が植えられ、お家の屋根裏で、お座敷で養蚕が行われるようになりました。
なんと、輸出品の60%を生糸が占めていたというのですからその規模の大きさがわかります。
養蚕が盛んになるのと比例して製糸業も盛んになります。
そう、あぁ野麦峠の世界です。
政府は国営の製糸工場をつくり、そこで13~25歳の工女を募集し働かせたのです。それが世界遺産にもなった「富岡製糸場」。明治5年のことでした。
といっても富岡製糸場はもう閉鎖されているし、私たちには関係ないとお思いでしょう。でもこの時にできた貿易ルート(高崎~八王子・横浜や江戸を結ぶルート)は今でも使われています。
最初はまだ馬で運んでいたのですが、明治22年養蚕に携わる人からの要望で鉄道ができます。それが現在の中央線。さらに明治41年には横浜線ができあがったのです。
日本の養蚕③ピークを迎えた昭和から現代
昭和初期にいよいよ養蚕業はピークを迎えます。
なんと全国平均で農家の5軒に2軒は養蚕に携わっていて、220万軒も養蚕農家がいたというのですから驚きです。
しかし、不況や戦争などが続いた後、高度成長も伴いその数は年々減少していきます。
昭和50年には約25万軒、60年には10万軒・・・220万軒から随分とへりましたが、平成24年には571軒しか残っていないと記録されています。
そして養蚕農家のほとんどが高齢のため、今後はさらに減少していくでしょう。
そして令和の養蚕
世界的にみるとそのほとんどが中国が産地となっています。
2018年の統計では中国(12万トン)が圧倒的なシェアを占める。以下、インド(3万5,261トン)、ウズベキスタン(1,800トン)が続いている。
ちなみに中国の養蚕は発展に伴い東から西へ移行しているのですが、技術の伝承問題もあり繭品質の低下問題があげられています。
そんな中国も今後増える方向にはいかず、横ばいか減少されると予想もされていて、世界的な生産量は減少していくように思います。
しかし、そんな中ラオスにまでわたり養蚕をしている人がいます。
そう、私です
一体なぜなのでしょう?
衰退の一途をたどるシルクですが、実は繊維ではない世界でみなおされています。何せ4500年も人と付き合いのある繊維です。
現代では、人の細胞に近いことから様々な研究が進むシルク。
the ancient material of the future(未来の古代の素材)と呼ばれるシルク。
そのあたりの未来のシルクのお話はまた次回にでも。
それではまた次回お楽しみください。