タイの東北地方のイサーン地方でシルク生地を作っているとき、ふと教授の
「ラオスも養蚕の気候にあってるよ」
という何気ない一言を思い出し、陸路でラオスにわたることになった私たち。
ラオス入国と奇跡の出会い
イサーン地方から陸路でわたるラオスの行先は、必然とラオスの南部。
その南部のパクセ―という町に偶然日本人が経営しているホテル(ゲストハウス?)があるという情報を発見。ひとまず連絡をとってみることにした。
「養蚕したいねんけどなんかいい場所知らん?」
みたいなね。いや、要約しただけで、もっとちゃんとした文ですよ。
でも期待してるとか、そんなんはゼロです。
とりあえず聞いてみるってやつです。
すると先方からは
「ちょうどいい人が泊ってますよ。ご紹介します」
との返事。
「ふーん。やっぱり、そううまくいくわけ・・・・」
・・・
・・・
「え!?ちょうどいい人!?何それ?」
と、べたなノリ突っ込みを済ませた私は言葉も距離感もわからないまま、なんとか車を手配。相手は英語もできないし、私もラオ語も話せないながら紆余曲折あったものの無事にホテルへ到着。
そして夕方ごろ、仕事を終えて帰ってきた”ちょうどいい人”とご対面。
「はじめまして、実はカクカクジカジカで・・・」
と一通り説明を済ませると、
「いやぁ偶然ですね。私JICAの関係で、ラオスに桑の調査にきてるんですよ」
え?
まじか・・・!
こんな偶然あるのか????
日本でもめったに会わない桑の関連の仕事の人に、ラオスのしかも南部という田舎で、しかも渡った初日に・・・
奇跡
という言葉でも生ぬるい
そんな偶然
一週間でもずれていたら、会えなかった偶然。
いや、これは必然だ!
と、思い直し、「私も桑の場所に連れてって!」とその場でお願い。ビアラオで乾杯した後、その日は就寝。
いまだにラオスが何語をしゃべるかわからないけれど、
ラオスがどんなところかわからないけれど、
取り合えず「桑」があることが分かった。
で、翌日。早速同行することとなった。
当時はまだ南部の都市とは言え、主要道路も舗装が行き届いておらず、土の道をひたすらガタガタと走らせた。
車を走らせること2時間
「ここは以前養蚕をやってて施設も整ってるし桑もある場所ですよ」
と言われていたのだけれど、確かに立派な施設はあったけれど、体が拒否している。かび臭く、間違いなくここでの養蚕は失敗するだろうという予感があった。
そしてやはり桑も弱っている。
残念だけど、ここじゃだめだな・・・
では次の場所へ・・・行かないのがラオス流。
いったん帰って、ビアラオ飲んで(←これ必須)、お湯の出ないシャワーを浴びて、この日はこれで終了。
やっぱり簡単ではなかったか?と思ったけれど、その翌日違う村にも連れてってくれるという。
同じくガタガタ道を走らせること2時間ちょっと。
「桑だ!」
あったあった。なかなか元気そうな桑だ
水をすくってみた。
試験管に入れて、反応を見る。
非常にきれいな水だ。
「この桑つかって養蚕やってみたい」
いよいよラオスでの養蚕が幕を開ける。
そうと決まれば一度帰国し、養蚕道具と種を手にすぐに再ラオス訪問。
こんな田舎な村のどこで養蚕しようか?
と悩んだけれど、実はこのあたり、滝が多くバックパッカーが多く来ていてわずかながらゲストハウスがある。
その中から一番きれいなゲストハウスを選び、一部屋貸切って、ベットやらなにやら全部出してもらって、そこを「超」きれいに掃除して、養蚕開始。
ゲストハウスで養蚕できるラオスのゆるさに感謝しながらお蚕さんはドンドン育っていく。夜中にヘッドライトだけで片道30分を歩いて、桑をとりに行くなど紆余曲折あったけれど・・・
いや、書けばきりがないくらい、本当にいろいろあったけれど、桑はきれいだし、お蚕さんは元気に育つ。
そして無事に繭が完成。
切繭にして、交配もして、その生の繭をもってかえることに成功
初ラオスの初養蚕。
見事に完了です!
そして、ドキドキとともに、繭の質を日本で検査。
結果・・・高分子量の多い非常に綺麗な繭と判明。
「やっぱりラオス初日に桑に出会ったのは必然だったのだ!」
有害物質の含まない土と水
自然栽培で育つ桑
非常に綺麗な繭ができる環境がラオスにはあったんです。
そうとわかったら、真剣にその近辺でいい場所を探し始めるしかない。
養蚕していた村の近辺で、せっかくなら見通しのいい、気持ちのいいところ。
そのころにはバイクも借りることができるようになっていた私は、バイクにまたがり、一人あちこち飛ばしまくった。
すると、ふと気になるところがあった。
バイクを止める。
静かすぎて耳鳴りがする。
遠くのまで見渡せる心地のいい場所
なんとなく、ここに来る気がした。
それからもアチコチと場所を調べるけれど、毎度同じところで足が止まる。
それが今の農場のあるところ。
無事に土地の持ち主とも話ができて、その地に桑を植えることにしたのです
「生命農業」と呼ばれるラオスの力を実感
さて、この土地を選んで学べたことがもう一つある。
それは、バナナは刺せば生えるということである。
米も植えるだけで育つということである。
それは桑も同じ。
「土は手を入れるもの」
と思っていた私の考えをガツンと砕いてくれた。
窒素リン酸カリといった化学肥料はもちろん、得体のしれない有機肥料なども不要なのだ。
綺麗な土を探して行きついたラオス。
そこに手を加えては元も子もありません。
なるべく自然のまま、なるべく手を加えないまま
その方が桑や植物の方が強くたくましいものに育つとわかってきました。
そして、そんな繭の方が綺麗に作られるということもわかってきました。
ラオスにはオーガニックという概念がありませんでした。
そこに言葉を当てはめたのがカシカムインシュゥ
直訳すると「生命農業」
この言葉に心打たれました。
オーガニックよりもっと大切な考えに思えたのです。
そして、村の人たちの生活から、私たちは自然との共生の中生きているのだと実感するようになりました。まさに生命農業という言葉にピッタリだったのです。
ラオスでの奇跡は桑があるということだけではなく、私たちの考える綺麗なシルクを、より最高の状態へと昇華してくれたのです。
そして私たちの考えも確信に変えてくれたんです。
私たちはこの地球の中で生きている。
だから、何をするにも共生の心が大切なんだ。
と。
だから、私たちのモノづくりは
土を大切にするし、
現地の健全な労働を守る
モノづくりの過程においても、自然を害さない
お蚕さんの命も全うさせる
などなど、すべて共生と循環の考えに基づいています。
そうすることで、私たちの肌にも、体にもいいものが返ってくると信じています。
だから、口に入れても大丈夫なもの、地球に流しても害にならないもので作ることを大切にしています。
inSuiの誕生
そんな考えで作られたシルク石鹸を中心としたブランド名は、
生命農業(インシュウ)の言葉の一部を頂き、水のイメージとともにインスイ(inSui)と名付けました。
なんとなく、いい言葉と思って付けた
inSui
クルっと回転させてもinSuiと読めることに驚きました。
私たちが考えている陰陽のバランスも表していたのです。
さて、最大限綺麗な繭を作った私たちは、繭をつかって人の役に立つためのモノづくりを始めました。その一つが「石鹸」です。
シルクには汚れやにおいをとる力もあり、肌に優しい。しかもシルクが一枚膜を作ってくれる。
だから、敏感肌の人や乾燥肌の人の肌トラブルを解決できるのではと思ったのです。
まとめ
さて、長くなりましたが、呉服屋がラオスで養蚕を始めた理由が少しわかっていただけましたでしょうか?
生の繭に出会い、その着心地の良さを実感するとともに、自分たちでも養蚕をすることになって、繭一つ一つが命なんだと実感していった。
だからもっとシルクの良さを最大限い生かしたいと思うようになっていった。
シルクの最新の技術が肌や骨を作るほど、生体の役に立つとわかってきた。
綺麗な土が大切だと思い、ラオスまで行きついた。
そこでは生命農業と呼ばれる素晴らしい農法が根付いていた。
だから本当に綺麗な繭ができるようになった。
この奇麗な繭を使い、人の役に立つモノづくりがしたいと、シルクで石鹸を作るようになった。
そして、そのモノづくりが、私たちの身体だけでなく、現地の土や労働を守る循環と共生を生み出せることを願っています。
まだまだ始まったばかりですが、一歩一歩丁寧に歩いていければと思います。長くなりましたが、皆様とも共生の関係を築いていければ幸いです。
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