養蚕・・・お蚕さんを育て繭をとること
お蚕さん・・・繭をつくる虫
繭・・・シルク糸のもととなるお蚕さんが蛹の時に作る家
と、なんだか当たり前に思えることを書いてみたけれど、意外と知らないって人も多いかもしれない。
何しろ、私たち世代はすでに養蚕が身近でないはずである。覚えているのは地図記号で桑畑の記号を暗記させられたことだ。当時桑畑といってもすでに少なく、どんな植物なのかも分からないまま”桑畑”という言葉と地図記号だけがインプットされたのを思い出す。

さて、それほど身近で無くなった養蚕というものをまずは歴史から見てみたいと思う。
<そもそも養蚕ということを知らない人のために>
養蚕とはお蚕さんという虫を育て、繭をとる仕事。繭から糸を引くとシルクが出来上がる。モスラを彷彿とさせるお蚕さんは、桑の葉っぱを食べて大きく育つと、蛹になるための家作りに繭を作る。放っておくと繭からは蛹から羽化した蚕蛾が出てくる。

養蚕の歴史
養蚕の歴史は古い。
始まりは4〜5000年前の中国だと言われている。
その美しさと丈夫さ、あたたかさや着心地が人を魅了したんだろう。中国で織られたシルクはその名の通りシルクロードを通じてヨーロッパの人たちを魅了した。この時の中国の一大産業だったらしい。

日本に伝わったのは、紀元前200年ごろ。時代は弥生時代。絹糸を取るだけでなく貴重なタンパク源としてサナギを食べる文化もあったという。
そして江戸時代を境に全国で盛になり、鎖国が解かれた明治時代に養蚕は日本の近代化を支えたもっとも重要な産業なる。
政府が国を挙げて生糸作りをさせたため、なんと全ての輸出品の60%を生糸が占めていたというのだから驚かされる。
日本の近代化を支え先進国として発展した一番大事な産業が養蚕だったのだ。
ちなみにヨーロッパの養蚕は19世紀に病気が蔓延し全滅したと言われている。日本はというと、その勤勉さからか養蚕の技術はどんどん磨かれ、他の国の追随を許さないほどトップの技術と知識が蓄えられて来た。
今世界で1番養蚕をしている中国にも多くの日本の技術や機械、卵が使われている。インド、ベトナム、タイ、ブラジルと世界の養蚕ランキング上位の国はどれも日本の技術が使われるほど。
養蚕と日本神話
養蚕は日本の神話にも登場し、お蚕さんは、大宜津比売神の頭から生まれたとされている。同時に生まれたのは、目からは稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆という五穀だ。
「五穀」の種の起源となったこれら穀物と同時に生まれた唯一の生き物が蚕だったというのは、それくらい日本の源として大事なものだったのかもしれない。

日本書紀には天照大御神が保食神(うけもちのかみ)の体から高天原に取り寄せられ、業とされた。雄略天皇六年、皇后草香幡梭姫は民に養蚕を奨励するため宮中において親しく蚕を飼育された。ということが書かれている。
今も宮中に紅葉山御養蚕所が設けられ、皇后が親しく養蚕をされている由縁となっている。

伊勢神宮へは年に一度絹を奉納する祭りが行われる。ちなみにその伊勢神宮へ奉納している養蚕をやられていた方が私が初めて養蚕を教わった方。
蚕の未来
そうして神話に遡るほど付き合って来たお蚕さんは最近では衣料以外のところで注目を集めている。
絹タンパクが持つ保湿性や保温性や親和性の高さが特に注目されていて、酸素を通すコンタクトレンズやコーティング剤なども作られている。
生体への親和性の高さは古くから手術用の糸に使われて来たほどで、その親和性の高さから人工皮膚や血管、骨などの研究も進んでいる。
繭はこれからも害のないものとして、私たちの体を助けてくれようとしている。持続可能な太古の素材の未来の材料、それがシルクなのだ。
お蚕さんは目が見えないし飛べない
さて、そんなお蚕さんは実は目が見えない。そして成虫になっても飛ぶことはできない。

5000年の歴史の中で、人とともに暮らすことで自ら桑を探す必要もなくなり、交配するために飛んでいく必要も無くなったため、目や羽が退化したのだと思われる。
家畜中の家畜と言われる所以はそこにあるのだろう。
本格的なベジタリアンがシルクの洋服を選ばないのもそういうところにあると思う。
しかし、私たちは5000年もお蚕さんと付き合って来た。
それは一つの共生関係と言える。
遺伝子を残すためお蚕さんは人の役に立つ繭を作っているようにも感じる。
その代わりに私たち人間は、お蚕さんの命をつなげ安全に継代するのだ。

もし、私たちが養蚕をやめたらどうだろう?
一瞬で繋がれてきた命はあとを絶つだろう。
確かに人間が一方的に養蚕し、品種がどんどん生まれ、いつしか目も羽も機能お蚕さんになったのかもしれない。
しかし、だからこそ私たちは養蚕を続ける必要があると思う。これまで生まれてつなげて来た命に敬意と感謝とともに。
ちなみに、お蚕さんは一匹二匹ではなく一頭二頭と数える。家の大事な家畜として考えられていたことを指し、牛や豚と同じものと考えられていたと言える。家畜というとかわいそうという声も聞こえるが、「家」で飼う程度の家畜は家族であり、みんな親しみと愛情を込めて飼っている。
確かに産業化の中で培われた養蚕の中には、命を大事にしない、絹の力を発揮しないシルクもある。(詳しく述べるのはやめておく…)
その反省も踏まえ、ここでは命に感謝し大事にした養蚕をやっていきたいと思う。少量しかできないが、それでも確実に大事にやっていきたいと思う。
桑は自然栽培で育て、
繭は生の繭を使い、
蛹は羽化させて命を繋げる。
こうして命を大切に扱うと、お蚕さんは最も綺麗な繭を私たちに作ってくれる。
そうやって、これからもお蚕さんとは共生関係を築いていきたいと思う。