シルクが4000年もの間、人に愛されている理由。
それは
単に美しいというだけでなく、
単に希少だというだけでなく、
人に近い、
人を助ける
ものだったからなのです

・・・

さて、冒頭の出だし、少し変えてみましたが、この記事は前回、前々回の続きです。

その1↓

100年続く町の呉服屋がラオス南部の田舎で養蚕を始めた理由① – inSui blog (marusugi-tao.com)

その2↓

100年続く町の呉服屋がラオス南部の田舎で養蚕を始めた理由②~シルクは命~ – inSui blog (marusugi-tao.com)

読んでいただければ嬉しいですが、大筋だけとりあえず復習
①同じシルクといっても違いがあって、生繭から作られた糸が素晴らしい
②生繭で作る着物を求めて、タイ東北部イサーン地方でオリジナルを作る
③自分たちでも養蚕を始めようと勉強する(シルクが神の衣装だと知る)
④繭は命だと気づき、もっと有効な使い道を探し始める

とまぁこんな感じでしょうか?え?わからない?
過去記事よんでくださいませ(笑)

自分たちで養蚕をはじめ、その命と向き合うとき
「もっと人の役に立つシルクの使い方あるんじゃないか?」
というような心境の変化がでてきました。
そして、様々な研究者の話を聞く中で、絹は「歴史ある未来の材料」だということが確信に変わっていきます。

https://youtube.com/watch?v=vqqWw3xkMzA%3Frel%3D0

↑TEDでも語られていました。
持続可能な未来の材料だと。
そして私たちはシルクの生体親和性に注目した再生医療の分野での研究に出会います

シルクが人工皮膚になる。
シルクが人工の骨になる。

かねてより縫合糸として使われていたシルクは、人の細胞に近いため、拒絶反応を示さない生体材料ができるんだそうです。

なんだかピンときました。
これこそ今の人に求められているものじゃないか?

しかし、そのピンっを実行するのは簡単ではなかったのです。

養蚕するためのきれいな土を探そう

ピンときたら全は急げ。早速日本で土地を探し始めました。
地元のオーガニック農園を借りる話も出来てたのですが、問題が・・・
近くの果樹園から農薬が吹けてくるというのです。
養蚕するには農薬は大敵。畑で使ってなくても、風で吹いてきたらその葉っぱは使えません。

さて、ここで私は致命的に知らないことがあることに気づきます。
それは、養蚕の「よ」の字どころか、農業の「の」の字も知らなかったのです
だけど、知らぬが仏。
なんで農薬が必要なのか?
なんで肥料が必要なのか?
なんで?なんで?

となると、深く知りたくなるのが人の常。
いろいろな疑問がでてきて、またまたいろいろな生産者にあたることになったのです。
感覚的に農薬や肥料を使わない方法がいいのだろうと、直観があったので、本当に農薬や肥料が必要か?を注目しながら、自然栽培や無農薬、無肥料の農家さんにお話を聞くことを中心に、一方では従来の農業のシステムというのも学び始めました。

そして、シルクから始まった物語は、の事へ行きつきます。
そして土に行きつくと微生物の世界がやってきます。
微生物の世界を学ぶとメッセージ物質の世界まで見えてきます。

このあたり詳しく書くと、いくらあっても書き足りないので割愛しますが・・(ところで割愛って言葉、養蚕用語だってしってました?交尾した蚕蛾は放っておくとそのままし続けるので、手で離すのですが、この行為を愛を割ると書いて割愛とよぶのです。)

さて、話がそれましたね。気軽に「養蚕をする」といい始めたのですが、養蚕は農業と畜産業の両方が必要とこのころやっと気が付き始めました

そして、土を学ぶうち、
「せっかくならもっとも綺麗な繭をつくろう」
と思い始めたのです。
その思いに至った理由は
繭を生体材料として使えるといいなぁ
というぼんやりした思いからでした。
生体材料に使うには、やっぱり奇麗な繭じゃないといけませんからね。

で、綺麗な繭ってなに?って話なのですが、
糸の場合は、いかに均一であるか?がA6ランクと言われる最上の糸となるわけです。
ところが、生体材料の繭の場合、糸にするのではなく、リバースエンジニアリングという手法で、一度溶かすわけです。
そんな中で私たちが考えた綺麗な繭は
「有害物質がふくまれるか」
という一点でした。

それはイコール綺麗な土が必要
で、必然的に
「きれいな土を探そう!」
という考えにいたったのです。

タイからラオスへ渡ってみる

さて、日本で養蚕を学び、繭の使い方を学ぶ一方で、当時はまだタイでものづくりも続けていました。
イサーン地方へ渡り、各地の養蚕農家さんを渡り歩き、素晴らしい布を織ってもらっている中で、ふと京都工芸繊維大学の先生の言葉が頭によぎります
ラオスも気候にあってるよ」
というのも、イサーン地方からラオス南部へは陸路で行けるのです。

なんだかラオスは土がきれいそうだ。

「うん、行こう!」

思い立ったが吉日、ラオスが何語かもわからないまま、とりあえずイサーンの作り手にラオスへの行き方を教えてもらって車を手配。
急遽ラオスへレッツゴーの旅が始まりました。

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イサーン地方のコンチェンからバスを手配
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バスはイミグレまで行ってくれず、手前で下車。トゥクトゥクでイミグレまで行きます
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いよいよラオス入国

ということで無事に陸路で入国したものの、もちろんイミグレ周辺は町場ではないので、町場までいかなければいけません。
ところで、町場ってどこやねん!どんくらい距離あるねん!
そんなことも知らずに来てるわけですから大変ですよ。
しかも現地の人は英語できないし・・・

まぁしかし、その辺は当たって砕けろ、何とかなるさと
無事にタクシー(?)をゲット。

で、どこに向かうかって?
実は、直前のタイのホテルでネット検索したところ、ラオス南部のパクセという都市に日本人がやってるホテルがあるって驚きの結果がでてきてそこで泊まる予約をしていたのです。(当たって砕けろとか言いながら、このあたりは用意周到(笑))

なんにしろ、全く知らないラオスなので、この時はただの様子見というか、まぁ一回行ってみるか?程度だったのです。で、日本人がやってるならラオスの様子とか聞けるなーって。

ところが、このタイミングで、このホテル選びがラオスでの養蚕を急速に早めることになるのです
・・が、そのあたりはまた次回。

さて、やっとラオスに行きつきましたね
長い長いお話にお付き合いありがとうございます。
いい加減次回完結したいですが、できるかな~
懲りずに読んでいただければ嬉しいです。

ではまた。
ソークディー!

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